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日本のゲイは幸せすぎる!

今どきの若者は、アメリカのニューヨークで、ゲイの人たちが警察に立ちむかった話なんて知らないと思うけど、ニューヨークに長く住んでいて、『ニューヨーク人間図鑑』(草思社刊)などを出されている宮本美智子さんと対談することができた。
(36年も前のことで宮本さんは亡くなられている)
1960年代の話だ。



「「ストンウォール」というゲイバアがあって、そのゲイバアというのは、SMがあったりあまり品のいい場所ではなくて、酔っぱらいがずいぶん出入りしていたこともあって、警察官がしょっちゅう取り調べに来ていたらしいんです。
ただ、ゲイだからといって逮捕したりすることは、実際にはできないんですよね。
そういう法律はないので。
ところが警官のいやがらせがあるんです。
なんとなく現れて、小突いたり、何をしているんだって不審尋問をしたりということは、毎晩のようにあったらしいんです。
だから、ゲイもそのころは、警官がくるとコソコソと逃げるような感じであったんですね。
それが1969年のある日、爆発したわけです。
警官がゲイに対していやがらせをしたときに
「なんで自分たちはいつもこんなことをされなくちゃいけないんだ、もうたくさんだっ」
ってだれかが叫んだら、みんな積もり積もった恨みがありますでしょう、爆発してワーッと暴動になったというんです。
そうしたら、当時のニューヨーク市長であったリンゼーが、もうゲイに対していやがらせするのはやめよ、という命令を出した。
それで突然、クリストファー・ストリートは大らかに、明るくなったわけです。
幸いあの暴動では、人が死んだりはしませんでしたよね。
それはゲイというのは基本的に平和主義者だからだと、私の友人が言っておりましたけど、だれも発砲しなかったし、人を殺したりはしなかった。
でも、今まで積もっていたことをみんな言って、それまでゲイであることをひた隠しにしていた人まで、
「アイ・アム・ア・ゲイ(自分はゲイである)」
と、声をあげて道を走ったりしたそうです。」



日本の場合は、警察の権力によって、同性愛者を弾圧するようなことがなかっただけにかえってそれが現状を変えられなかったといえる。
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絵はがきが報道の役目を!

関東地方に台風上陸、窓の外を見ると電線がゆらゆらとゆれている。
もっと大雨と風が強く吹くのかと思ったら、僕の住んでいる世田谷区代沢3丁目は、どうということもなかった。
テレビの報道によると、各地で被害が出ているようだ。次から次へと台風が発生するのは、地球温暖化の影響なのか。

父(明治38年生まれ)が持っていた明治末期の絵はがきを見つけだした。
明治は45年で大正時代になったと思うが、明治43年に台風が東京をおそったのか、浅草公園が水びたしになって、食べものをかついで運んでいる写真と、船みたいなものをさおであやつっている写真がある。
あとの2枚は台風で家めちゃめちゃになっている写真だ。テレビなんてものがなかった時代だから、絵はがきで地方の人にまで伝えられるようにしていたのだろう。

大きなオッパイ見たさに行ったのに!

世田谷区の街の掲示板に、毎年開催されている、「三茶ラテンフェスティバル」のポスターが貼られていた。
今年で32回になるそうだ。
8月20日と21日、21日は13時からだと思って、30度を超す暑さの中を三軒茶屋まで歩く。
ところが15時からだということだ。

スーパーの西友で、シャツと靴下を買ったりして時間をつぶす。
カフェに入ってコーヒーとサンドイッチを注文、スポーツ紙や、読売などの新聞が置いてあったので、それを読んで15時を待つ。
そんなことまでして、サンバの踊子を見ようというのだから、84歳といってもまだまだ欲望はある。
2、3年前に見たときは、両側の舗道でカメラを構えて待つ男達のギラギラした目はすごかった。

その数も舗道にあふれるばかりだったのに、今年は見物客の数も少ない。
それになによりも、チームを組んで踊るのだが、その数も少なかった。
僕ぼくの目にはオッパイが、ラテンのリズムにのって、ゆさゆさとこぼれんばかりの踊子にくぎづけになるのだがそんな魅力的でセクシーな踊子は少なかった。
カメラをかまえる男たちの迫力も感じられない。
商店街も活気が感じられないのは、消費が落ち込んでいるからだろう。

それにしてもスーパー西友は、下北沢のスーパーに比べて、すべてが安い。
半そでシャツが値札に千円近かくの値段がついているのに半額の500円だ。
駒大に通っていた時は、じゃり道を下北沢から三軒茶屋まで歩いて、玉電に乗って駒沢まで乗って学校に通っていた。
今はバスにのるしかない。
今日は行きも帰りも歩いてしまった。

オッパイ見たさに行ったのに、お疲れさんでした。


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「柔道」といってもらいたくない!

2016年・8月21日の「毎日新聞」の「みんなの広場」という読者の投書欄に、福岡県水巻町の松尾高林さん、82歳の方が
「道を忘れた現行の柔道」
のタイトルで書かれている。
ぼくと同じぐらいの年齢の方で、リオデジャネイロ五輪の柔道の試合についての意見だ。
ぼくもこの方の意見に賛成で、かつての日本の柔道と全く違ってきて、「柔道」といってもらいたくない。
レスリングとまったく同じようにしか見えてない。


「柔道は世界的競技になり、喜ばしいことではあるが、組み手で時間を奪われ本来の柔道に違い実態に疑問を抱いている。
そこで提案だが、最初に襟(えり)と袖(そで)を組み手をして開始する。
その後、組み手から逃げ回ると指導をとることである。
現行の柔道は「道」が忘れられている。
礼に始まって礼に終わるのが柔道の神髄である。
日本選手は世界の模試となり、柔道の心を行動で伝えて欲しい。」


ぼくが小学校の高学年の頃のことだ。
九段下の軍人会館(今は九段会館?)で、藤田進主演の「姿三四郎」を見たことがある。
ストーリーなどまったく覚えていないが、戦う相手とも襟を掴んで試合をしているから、いろんなわざをかけやすかった。
今の柔道は襟や袖をつかませないように逃げまわっている。
これでいろんなわざをかけようがない。
柔道は日本から世界へとひろがっていき、もう別の競技になってしまっている。
日本の発言権はないのだろう。

ホモでなけりゃ芸術家じゃねえ!

1976年(今から40年も前)発行の「季刊藝能東西・蝉時雨号」今は亡き小沢昭一さん編集の雑誌で、「特集・ホモでなけりゃ芸術家じゃねえ!!」というすごい雑誌。
巻頭の小沢昭一さんの口上の言葉。
サインがある。
ペンで書かれたのか、かすれた力のない文字だ。
小沢昭一さんとは、何度かお会いしたことがある。
下北沢でよく見かけたことがあり、声をかけたこともあった。

「私ごとを述べて大変に恐縮なんですが、私は拙著『私は河原乞食・考』(昭和44年)の3分の1を費して、しつこくホモと芸能について考えました。
ひとつは、俳優と男色の密接な関係--オトコを売ってきたこの国の俳優史。
もうひとつは、ある心理学者が提起した
「優れた俳優には女性性格が絶対的に必要である。高度の男性性格は舞台芸術にはあまり適さない」
という問題。
そして、滑稽人--たとえば落語家やコメディアンと呼ばれる人々の中にホモがいないということ。……などなど。
あれからまだずうっと、私はそのことを考え続けています。(後略)」

小沢さんの書かれているとおりだと、ぼくも考えています。
その詩集に執筆されている先生方、それっぽい人ばかりなのは当然だ。
「男色。ひとつの社会心理史」
心理学者の南博先生、何度かお会いしたことがあり、ぼくの著書の出版を祝う会を京王プラザホテルで開いたおりにスピーチをお願いした。
南先生、壇上にあがるやいなや、
「私は女好きです」
と開口一番に話された。
やはりとぼくは思ったが、その通りに違いはない。
プロフィール

伊藤文學

Author:伊藤文學
日本初の同性愛者向け雑誌『薔薇族』を創刊した編集長。
薔薇族は廃刊となったが、販売を手掛けるラブオイルは今でも売れ行き好調。
出演作品がネットで話題となり、いつしか“ラブオイル校長”の名でも親しまれるようになった。ありがたいことです。
管理運営:FMC's©伊藤文學

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