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『薔薇族』の読者はオチンチンが大好き!

『薔薇族』の読者には詩人?が多かった。
「マラ(オチンチンのこと)讃歌」10首を送ってくれた(兵庫県・佐貫子)がいる。
女性好きの男性は、一番目がいくところは女性のオッパイだが、男性好きの男性は、オチンチンだ。
よくまあ考えたものだ。

ああ、よかちんちん、いつながめても、あきもせず、すばらしく、心もはずむ。

先っぽは、いいぐあいにふくらんで、赤味がかり、よきチンチン。

ああ、いい色、なんとなく光いて、ああ、すばらしき、太マラチンポ。

真っ白な、裸わき毛の、毛はまっ黒く、下はふさふさ、マラチンは立つ。

根元にはふさふさとばかりぶら下がり、先はふくらみ、太マラチンポ。

つづく
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俺がした、こんなハレンチなセックス4

「某高校へ行き、ただなにげなく、グランドをぶらついていたら、
サッカー部の高校生たちが部室に入っていったので、近くで着替えているのをチラチラ見ていたが、
たまらなくなったので、部室にいきなり入って、あせまんとしている部員の中で、一番かわいい子を裏に引っぱっていき、
力ずくで裸にして、なめまわして、ヒーヒー言わせた。
そうしたらなんと、それを見ていた他の部員たちが、
俺にもしてほしい、と後ろに行列ができてきて、全部で8人も相手にしてしまった。
さすがに8人連続となると、ノドは乾くし口の中もへんな感じで、
腰もあそこも痛くて死にそうになったけど、くる者はこばまずで、
途中でジュースをのんだり、世間話をしたりしながら、8人の相手をした。
黒いの、赤いの、太いの、細いのいろいろあった。

さすがに3ヶ月ほど、セックスの「セ」の字も聞きたくなかった。でも、また最近やりたくなってきた。
こんどはどこの高校へ行こうかな。
(トオル・24歳)」

本当の話かね。
あまりにすごい話なので、ウソっぽくも。



「俺の住む近くの露天風呂でタッチされ、その気になって、その場でフェラしたり、Aを責められたり。
湯が熱いので外に出て、車で近くの空地へ。
車の中でやってたのだけれど、夢中になって外に出て、車のボンネットに体を押し付けられて、後ろからAを責められて、イってしまった。
そのとき、近くの別荘から見られていたようだ。
つぎの日、その別荘の前を通ったら、別のティッシュがいっぱい落ちていた。
(静岡県・露天風呂・36歳)」




エッチな話をアンケートしてくださいと、『薔薇族』の誌上で募集すると、多くの読者が面白い話を寄せてくれた。
読者と共に作る雑誌だったのだ。

俺がした、こんなハレンチなセックス3

「普通のスナックでダンスをした。
曲の一番の歌の間、相手の男のペニスをズボンの上から触っていたら、ボッキしてきたので、曲の二番からは直接、ズボンの外へ引きずり出して、もみまくり、曲の終わりまでに元どおりにチャックを閉め、なにくわぬ顔。
自分の方が気がイキそうになる。相手はボッキさせてるばかり。
あとで自分のチチを噛んでくれたが、これが最高、すぐに気がイッてしまう。
(和歌山・誠実・45歳)

普通のスナックで男同士でダンスをしたり、ペニスをもんだり、ゲイバアならともかく、そんなことできるかな。
ダンスをしながらチチを噛む、
耳を噛むなら分からないでもないが、相手の男、背が小さい人なのかな。



「トイレの壁の穴からのぞきながらオナニーをした。
そしてその穴からザーメンをとばした。
向こうのトイレはカラんでいるらしく、あえぐ声、激しい息づかいが聞こえて、こちらには気付くわけがない。
ただ、ひたすらオナったが、いつまでもトイレに入っているわけにいかず、出てきてしまった。
(センズリマン)」

みなさん、トイレが好きですね。
穴まであけてしまうんだから。



「この前、友人とあの駒沢公園(発展場だった)
夜だというのに、いるわ、いるわ、こんなにいていいのだろうか。
すごかったのは、名付けて
「筋肉マッチョ林の中のオナニー」なのです。
その人は23歳ぐらいの短髪で体もすごくいいのです。
俺たちが見に行くと、ますます興奮しちゃってすごいのなんのって。
ちょっとハスキーな声で、
「××してくれっす」
「押忍」
なんて言うもんだから、こっちも興奮度120%でした。
(神奈川・公園通り・22歳)」

なんだか読んでるうちに興奮してきたから「ラブオイル」を使って昇天するか。

俺がした、こんなハレンチなセックス2

「あれは5年くらい前の社員旅行。能登の温泉、夜12時ごろ湯に行くと、1人の人が出るところだった。
僕が湯に入っていると、その人がまた入ってきた。
体を洗っている時にはもう、お互いピンピンになっているものを握り合っていた。
洗い場で寝そべってフェラし合った。
そして知らない間に、1人の若者が入ってきてしまって、湯に入った。恥ずかしい。
でも、どう思っただろうね、大浴場であんなことをしてたのを見て、若者、すごくよかったのにふん切れなかった。
ブリーフにキッスしまくってしまったけど、部屋に戻ってから、彼、マスかいてたりして?
(京都・ミチル・28歳)」

深夜の大浴場、ありそうな話だな。



「高校2年のオイが夏休みに遊びにきた。
私の妹の次男坊。
都会から逃れて静かなわが家は、居心地がよかったようだ。
3日目ぐらい、家族の者がみんな出かけてオイ坊と2人だけになった。
2人だけの夕食。
少しだけビールを飲んで、それから風呂に入ることになった。
「いっしょに入ろうか」
「うん」
もうすっかり大人。
黒々と毛が生えて、オチンチンも大人並み。
抱きしめたい衝動にかられながら、でも血を分けたオイ坊のこと、へたをすると、近親相姦ということになる。
けれど、ついにがまんできなくなり風呂の中で手を握って抱きよせた。
「おじさん……」
と、ひとこと、びっくりしたようす。
でも応じてくれたのだ。
そのあと2人で抱き合ってキス、そして相互オナニー。
よかった。
(愛媛県・ムスコ・52歳)」

その後、ふたりはどうなったのか?
オイ坊、ノンケならゲイにはならず女好きになるのでは。
ふたりの運命はどう考えてもどうなるものではない。

俺がした、こんなハレンチなセックス

「田舎のわりに、オレ、けっこうハレンチなことやってるんだよね。肉体的には。
スーパーマーケットの若い子に、二日酔いの勢いでラブレター渡したんだけど……。
うん、それっぽくてかわいい子だったんで……。
後日、行ったらさ、バイトらしい子とオレの方を指さして、笑ってるの。
ノンケにもいるのねえ、おしゃべりが……。
(北海道・6丁目・33歳)」

ハレンチというより、オロカというべきだ。
でも数撃ちゃ当たるって、言葉を信じてこりずに続けたら?
そのうち街じゅうの笑い者になるかも。



「ボクのホモだちは、恥ずかしがりや。二人きりになっても前を隠して絶対に見せたことがない。
でも面白いヤツで、酒がはいると、ちょっとばかり大胆になってくる。
そんなときぼくは彼の毛を全部、剃ったことがある。
彼は泣いて怒って、「もう絶交だ」って言う。
でも、すぐに機嫌をなおして、二人で69になってしゃぶり、こすり昇天。
毛がなくなったらば、ペニスがいちだんと、太く長く見えるから不思議だ。
みなさんもどうぞ。
(神奈川県・あじさい・23歳)」

ぼくも女房の陰毛をかみそりで、きれいにそったことがある。なんかへんにそれを見て興奮して、そのあとは……。



「神社の境内で男が小便をしていた。
そんなもったいないことをしたら、ちんぽが曲がるよと言って、途中からわしが口で受けましたが、
酒の匂いがするやら勢いがよいやらで、むせましたわい。
(静岡県・かまちゃん・58歳)

酔っぱらいの小便なんか飲んだら悪酔いするよ。神さまもびっくり。
見ちゃいられないって。

日本初の仕事をいくつもやりとげた!

ネットなんてものがなかった時代、ぼくの仕事はすべて日本で最初ということをなしとげることができた。
日本初の同性愛誌『薔薇族』の創刊はもちろんだが、少年のヌード写真集『少年たち』は勇気のいることだった。

日本でもモデルの少年を探すのは大変なことだったので、カメラマンをマニラに行ってもらって、少年の写真を撮ることにした。
その頃のフィリピンは貧しかったので、親が少年を連れてきてモデルにしてほしいと頼みにくるのだから、たちまち2冊の写真集を出し1冊残らず売れてしまった。

『脱いだ男たち』男性ヌードの写真集も日本初、書店で買いにくいのではと、オビにデッサン用と刷りこんだ。
ビデオも日本初、30分ものでなんと3万円したのだから、手さげ袋に入れてポルノショップにもっていくと、何十万にもなったのだからいい時代だった。

ビデオだけでなく、映画の製作にものり出した。千葉の勝浦の古い網元の家を借りて、4日ほどで1時間もの映画に仕あげた。

三島由紀夫さんが書いたのではと言われた『愛の処刑』監督は、2流、3流の映画会社の人だったが、カメラマンは有名な人だ。

映画をビデオにしても売り出した。『薔薇族映画』と名付けて、3作ぐらい作った。

思いついたものは、すぐに実行に移した。
誰にも相談する必要はなく、ぼくが決断すればいいことだった。

「伊藤文學の談話室・祭」も映画的なお店だった。ゲイバアなるものは、夕方から開業するが、「祭」はなんと昼間から営業した。
これが大当たりで、渋谷にも2号店、レズビアンの女性のお店「リボンヌ」もオープンさせた。やりがいのある時代だった。

帰るべき家がなくなってしまった!

『薔薇族』が創刊されたときも、マスコミが話題にしてくれたが、33年間出し続けて、2004年の9月に刊行された11月号で、突如廃刊に追い込まれてしまったときの方が、マスコミが話題にしてくれた。
9月22日の朝日新聞の夕刊に「雑誌『薔薇族』が廃刊」という小さな記事が載った。
その日の夕方はマスコミが押しかけてきた。
共同通信社、時事通信社、読売、毎日、東京新聞と、夜まで取材の電話が鳴りっぱなし。
フランスの新聞社まで取材してくれた。それをひとりで対応するのだから大変だった。
その後の一週間は、週刊誌、イギリスのザ・タイムズや、スイスの新聞まで取材にこられ、ぼくはしゃべりどおし、33年間の話をするのだから、1時間、2時間かけて、しゃべりとおしてしまった。
その後、神保町の古書店「一誠堂」の海外部からの依頼で、オーストラリアの国立国会図書館と、アメリカのエール大学の図書館から382号、全巻揃えての注文が舞い込んだ。
全部揃えるのは大変だったが、読者の協力で、なんとか揃えて送ることができた。国内では大宅壮一文庫、早稲田大学の図書館にも不揃いだが、置いてくれている。
『薔薇族』が廃刊になったということが読者に伝わると、多くの読者から反響が寄せられたが、電話をかけてくる人は少なく、ましてや手紙を寄こした人は数人、ほとんどがメールだった。
それを見ただけで、インターネットなるものが普及して、世の中、あっという間に変わってしまったということを思い知らされた。
『薔薇族』がこの世から消えて、「帰るべき家がなくなってしまった」という思いがしているという人からの手紙をがあった。
多くの人の心の中に『薔薇族』は生き続けるに違いない。

清水の舞台からとびおりるような気持ちで!

『薔薇族』ほど創刊のとき、そして廃刊になったとき、マスコミが話題にしてくれた雑誌って他にはないのでは。


昭和46年(1972年)にハンバーガーの「マクドナルド」が、銀座の三越の中に、第1号店をオープンさせた。
その頃の日本では、同性愛は異常なことでマスコミもとりあげないタブーだった。辞書にも「異常」と書かれていた。
『薔薇族』を創刊したとき、多くの週刊誌がとりあげてくれたので、知られるのが早かった。
その頃は月刊でなく隔月刊だったが、号を重ねるごとに刷部数が増えていった。読者からこんな投稿を読むと地方の読者が待ちのぞんでいた事が分かる。


「昭和46年秋、銀行のロビーで何げなく手にした『週刊朝日』のコラムに、『薔薇族』創刊を取りあげた記事を発表したとき、私はわが目を疑った。
心の片隅でそのようなものを求める気持ちはあったが、その方法、手段を何も知らなかった。
「あった、やっと見つけた」
という感情のたかぶりとともに、そのとき私は、自分の男性指向の思いをはっきり意識した。
いても立ってもいられない気持ちで上京し、上野駅ホームの電話帳で、第二書房を探し出し、どこでうっているかをきいたか。
それからは1ヶ月おきに、銀座の大雅堂(今はない)まで、往復3時間、千円の交通費をかけて通い『薔薇族』を手に入れ続けた。
書店員と客の視線を浴びて、まさに清水の舞台からとび降りる心境だった。『薔薇族』の1冊はまさに至宝だった。」


『薔薇族』を手に入れることは、読者にとっては大変な勇気がいることで、レジに持っていけずに万引きする人までいた。
プロフィール

伊藤文學

Author:伊藤文學
日本初の同性愛者向け雑誌『薔薇族』を創刊した編集長。
薔薇族は廃刊となったが、販売を手掛けるラブオイルは今でも売れ行き好調。
出演作品がネットで話題となり、いつしか“ラブオイル校長”の名でも親しまれるようになった。ありがたいことです。
管理運営:FMC's©伊藤文學

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