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摘まれた花はもとに戻らない!

(前回のつづき)
「小指ほどの大きさもないのではないかと思います。色も美しいわけでもなく、睾丸(こうがん)などは使い古して、ぼろぼろのお手玉のようです。
対人関係がまったくうまくできない私は、そのあまりの孤独から、いけないと思いつつ、ついついマスターベーションにおぼれる毎日でした。

学生時代、その一番楽しいはずの時期を、私は苦しみと、哀しみと淋しさだけで過ごしました。
毎日、学校へ行っても、ほとんど誰とも話しませんでした。
ひとりで弁当を食べなければいけない遠足がきらいでした。体育の授業などで、グループになって活動するとき、いつものけ者になっていました。
もう私は、自分から他人に働きかけるということができなくなっていました。

今ではもう親にもうとまれていることがわかり、将来もなくし、何もかも失ってしまった私です。
昔からいくどとなく、死んでしまおうと思いましたが、死ねなかったのは、このまま死んではあまりにも自分がみじめで哀しかったからです。
私もいつか健康なからだに戻り、誰かに愛される資格が得られると信じたがっているのです。

でも、わかっています。
一度、摘まれた花が、再びもとの草原に向かってよみがえることがないように、私のからだももとには戻りません。
自分の不幸を切り札みたいにするのは、正しくないのはわかっているのですが……。」



8月28日の日本テレビの「24時間テレビ」
よくまあ感動的になる障害者の人たちを見つけだしてきたものだ。
NHKは「障害者を感動話に」方程式批判をしている。
オチンチンが小さいことなんて、気にしない、気にしない!
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保育園時代からマスターベーション!

「マスターベーションは、他人から教えられたり、雑誌などで読んだりして知る場合と、
自然に覚えてしまう場合があると思います。
私の場合はとても早い時期に知ってしまったので、その二つのどちらであるか、すでにわかりません。
一番古い記憶は保育園のときのものです。

私のやり方は手でするのではなく、床などにうつぶせになり、体を前後にゆするという方法です。
こっそり誰もいない教室でしていると、急に入ってきた同じクラスの子に見つかってしまったときの記憶が、
鮮明に残っています。
その子はもちろん、私自身、その行為が何であるかということは、わかっていませんでした。
でも、なんとなくいけないことをしているような感じがあり、
「気分が悪くなった」
と、とっさにうそをついていました。
その時はそれだけですみ、何もなかったのですが、不幸はすでに始まっていました。

当時はもちろん、マスターベーションしても、射精などするはずはありませんでしたが絶頂の快感はありました。
当時から他人との付き合いがうまくできず、孤立しがちであった私は、その行為がどういうことなのかも知らず、
ただこうすると気持ちがいいからという単純な理由で、ひとりでマスターベーションに没頭していました。
やり方がまずかったのかもしれません。
オーソドックスに手でするのであればよかったのかもしれませんが、床に押しつけるというやり方であったためか、
ペニスの成長に障害を与えました。」



保育園時代からマスターベーションをとはおどろきですが、母親か、保育の先生は気がつかなかったのか?
あそこをこすると快感が、人間って不思議な生きものだ。(つづく)

処刑台に登っていくような!

こんな理解のある両親がいたなんて。ぼくまでうれしくなってしまった。



「ぼくはもうすぐ10代と別れなければならないのですが、19歳になってから充実した毎日を送っています。、あれは夏休みが終ってすぐのある晩のこと、彼からの電話で、
「こんな関係はもうやめよう」
と言われました。
振られちゃったんですね。
もちろんショックは受けました。

でも両親に気付かれてはいけないと、いつものように何ごともなかったかのようにしていたのですが、両親はぼくに何かが起こったということを悟ったようでした。
ぼくが受験勉強をしていたときよりも、もっと気を使ってくれました。
それから一週間ぐらいたったある晩のこと、ぼくは両親に告白しました。
その時の心境は、自分が処刑台に登っていくかのようでした。

子供のことをよく理解してくれる父と、男まさりの母は、
「よく言ってくれた」
と、ぼくを軽べつするどころか、反対に励ましてくれました。
ぼくがホモだということではなく、そのことを言う勇気を買ってくれたんだと思います。
母は
「それだけのことを言う勇気があるのなら、何事に対しても、その勇気をもってぶつかっていきなさい。」
父は
「その勇気をもって、これから訪れる問題をひとつ、ひとつ解決しなさい」
と。
両親がぼくにくれた10代最後の言葉だと思います。
ぼくは目頭が熱くなりました。
それから自分の部屋に入って、あらためて両親に感謝しました。
(東京都・K・H)」



両親はうすうす感じていたようだ。
机の引き出しに入れてある『薔薇族』は、ずっと前から知っていたとか。
こんな両親ばかりだと苦労はないのだけど……。

絵はがきが報道の役目を!

関東地方に台風上陸、窓の外を見ると電線がゆらゆらとゆれている。
もっと大雨と風が強く吹くのかと思ったら、僕の住んでいる世田谷区代沢3丁目は、どうということもなかった。
テレビの報道によると、各地で被害が出ているようだ。次から次へと台風が発生するのは、地球温暖化の影響なのか。

父(明治38年生まれ)が持っていた明治末期の絵はがきを見つけだした。
明治は45年で大正時代になったと思うが、明治43年に台風が東京をおそったのか、浅草公園が水びたしになって、食べものをかついで運んでいる写真と、船みたいなものをさおであやつっている写真がある。
あとの2枚は台風で家めちゃめちゃになっている写真だ。テレビなんてものがなかった時代だから、絵はがきで地方の人にまで伝えられるようにしていたのだろう。

大きなオッパイ見たさに行ったのに!

世田谷区の街の掲示板に、毎年開催されている、「三茶ラテンフェスティバル」のポスターが貼られていた。
今年で32回になるそうだ。
8月20日と21日、21日は13時からだと思って、30度を超す暑さの中を三軒茶屋まで歩く。
ところが15時からだということだ。

スーパーの西友で、シャツと靴下を買ったりして時間をつぶす。
カフェに入ってコーヒーとサンドイッチを注文、スポーツ紙や、読売などの新聞が置いてあったので、それを読んで15時を待つ。
そんなことまでして、サンバの踊子を見ようというのだから、84歳といってもまだまだ欲望はある。
2、3年前に見たときは、両側の舗道でカメラを構えて待つ男達のギラギラした目はすごかった。

その数も舗道にあふれるばかりだったのに、今年は見物客の数も少ない。
それになによりも、チームを組んで踊るのだが、その数も少なかった。
僕ぼくの目にはオッパイが、ラテンのリズムにのって、ゆさゆさとこぼれんばかりの踊子にくぎづけになるのだがそんな魅力的でセクシーな踊子は少なかった。
カメラをかまえる男たちの迫力も感じられない。
商店街も活気が感じられないのは、消費が落ち込んでいるからだろう。

それにしてもスーパー西友は、下北沢のスーパーに比べて、すべてが安い。
半そでシャツが値札に千円近かくの値段がついているのに半額の500円だ。
駒大に通っていた時は、じゃり道を下北沢から三軒茶屋まで歩いて、玉電に乗って駒沢まで乗って学校に通っていた。
今はバスにのるしかない。
今日は行きも帰りも歩いてしまった。

オッパイ見たさに行ったのに、お疲れさんでした。


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「柔道」といってもらいたくない!

2016年・8月21日の「毎日新聞」の「みんなの広場」という読者の投書欄に、福岡県水巻町の松尾高林さん、82歳の方が
「道を忘れた現行の柔道」
のタイトルで書かれている。
ぼくと同じぐらいの年齢の方で、リオデジャネイロ五輪の柔道の試合についての意見だ。
ぼくもこの方の意見に賛成で、かつての日本の柔道と全く違ってきて、「柔道」といってもらいたくない。
レスリングとまったく同じようにしか見えてない。


「柔道は世界的競技になり、喜ばしいことではあるが、組み手で時間を奪われ本来の柔道に違い実態に疑問を抱いている。
そこで提案だが、最初に襟(えり)と袖(そで)を組み手をして開始する。
その後、組み手から逃げ回ると指導をとることである。
現行の柔道は「道」が忘れられている。
礼に始まって礼に終わるのが柔道の神髄である。
日本選手は世界の模試となり、柔道の心を行動で伝えて欲しい。」


ぼくが小学校の高学年の頃のことだ。
九段下の軍人会館(今は九段会館?)で、藤田進主演の「姿三四郎」を見たことがある。
ストーリーなどまったく覚えていないが、戦う相手とも襟を掴んで試合をしているから、いろんなわざをかけやすかった。
今の柔道は襟や袖をつかませないように逃げまわっている。
これでいろんなわざをかけようがない。
柔道は日本から世界へとひろがっていき、もう別の競技になってしまっている。
日本の発言権はないのだろう。

他人の中傷に負けず生きていく!

「みなさんは自分の人生と、自分の性(さが)をどう生きていますか?
自分の日常生活や生き方を紹介します。
私は自分の性(ホモであること)に徹して独身を通している38歳の男性で、ほとんど自宅で寝たきり状態にある老母との二人暮らし。
結婚はしないものと決してはいるものの田舎町の人間にとっては、現実はきびしいものです。
他人の中傷などは気にしませんが、男が勤めながら病母を抱え、家事を続けていくことは、並大ていのことではありません。
私は生来が負けず嫌いで、物事をいい加減にできず、やると決めたら徹底的にやらねば気がすまない性分です。
だから勤務、炊事、洗濯、掃除、病母の世話と、毎日、ひとり二役以上の多忙さです。
同僚の女性とも出会うスーパーで、堂々と買物もす、料理も普通の女性には負けません。
でも40歳近かくの男が、結婚もしないで家事をやっている姿に、世間の人の目には奇異に映るらしく、いろいろと中傷も聞かれます。
人の悪い職場の同僚から
「はよ結婚せんと、○○○がくさるぞ」
とか、
「おまえ、インポと違うか」
とか、言ってからかわれますが。
私はそんなときは、堂々と
「そうかもしれん」
と笑って受けながすことにしています。
世界の目には異常に見えても、私にとっては正当な生き方なのですから、誰に恐れることも恥ることもありません。
堂々と貫いていくだけです。
(後略・福岡県・KI)」



母親にとっては、息子の嫁に看病してもらうより、自分の息子の方が幸せなのでは。
このようなケースは、ぼくもよく見てきました。
中傷に負けず堂々と生きている。
すばらしい。
プロフィール

伊藤文學

Author:伊藤文學
日本初の同性愛者向け雑誌『薔薇族』を創刊した編集長。
薔薇族は廃刊となったが、販売を手掛けるラブオイルは今でも売れ行き好調。
出演作品がネットで話題となり、いつしか“ラブオイル校長”の名でも親しまれるようになった。ありがたいことです。
管理運営:FMC's©伊藤文學

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